更年期亭シングル介護日乗 

アルツハイマー型認知症&網膜色素変性症(指定難病)で要介護1の父親と、頭はシッカリしているが病弱で要支援1の母親と3人暮らし。 介護の入口に立って途方に暮れつつ、トライ&エラーの日々。

認知症の前兆と初めての迷子

かなり前から予兆はあった。

 

もともと慌て者で物忘れの多い親父ではあったが、その度合いが尋常ではないと感じたのは2016年ごろからだ。外出時に一度玄関を出てから、平均3回は「忘れもの」を取りに戻ってくる。門のあたりで気づくこともあれば、駅から「財布を忘れたから駅まで持ってきてくれ」と電話が入ることもあった。そもそも父の持ち物など、財布、PASMO、携帯電話、家の鍵、あとはせいぜい文庫本ぐらいのものなのに、よくもまあ毎回これだけ順繰りに忘れるものだと感心するほど忘れ倒す。

 

これは認知症の前駆症状ではないか。そう思って、あるとき買ってきた認知症ムック本の中にあったごく簡単なテストを両親に試みた。両手を使って、影絵みたいな動物の形を作るテストだ。母は難なくクリアしたが、父は両手を使ってハトの形を作ることができなかった。

 

認知症の中には早期治療によって治る種類のものもある。受診は早い方がいいと、どの関連書籍にも書いてあった。だが「物忘れ外来」の受診を何度勧めても、頑として聞き入れてはくれなかった。自分自身も疑いがあるほど、病院に行って現実に直面するのは怖いだろう。無理強いはできなかった。

 

当時の父は小さな会社に役員として籍があり、週に1、2回ほど顔を出していた。遅めに時差出勤して、ほんの3、4時間いて帰るだけなのだが、それも段々と目に見えて辛そうな様子になってきた。「疲れた」「疲れた」を連発し、風邪をひいたと仮病を使っては、しばしば会社を休むようになった。

 

そして2016年の12月下旬。ひとりで近所の神社へ正月のお飾りを買いに行った帰り、迷子で戻れなくなった。

 

何十年と通いなれた徒歩10分ほどの距離なのに、3時頃に家を出たきり、4時になっても5時になっても帰ってこない。冬至を過ぎたばかりで日暮れは早い。網膜色素変性症という目の難病を持つ父は極端な鳥目で、暗いところが見えにくい。自転車で探しに出かけたが、どこにも姿は見えなかった。

7時近くなり、もう市の行方不明放送を頼むしかないかと諦めかけたとき、タクシーに乗って父が帰ってきた。

 

「歩いているうちに、どんどん知らない道に出てしまった。なんとか大きな通りに出て、コンビニでタクシーを呼んでもらったんだ」

 

本人もショックを受けている。これはもう待ったなしだ。

 

「とりあえず物忘れ外来に行こう。脳梗塞とかいろんな原因で一時的に記憶が悪くなることも多いんだって。ついでにいろいろ検査してもらおうよ。ちょうど人間ドックとか脳ドックにそろそろ行こうかなって言っていたじゃん」

 

畳みかけるようになだめすかし、最寄りの大学病院で精神神経科に予約を取ることにした。